弊社代表から皆様へ 再生エネルギーへ転換しましょう -Y2エナジーグループ | 東京都内で太陽光や蓄電池を相談するならY2エナジーグループ【誠実/お客様満足度の高い施工】
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今回は弊社代表 高橋雄太郎より、皆様に向けたメッセージとしてブログを掲載させていただきます。
弊社の思いを少しでも感じ取っていただければ幸いです。


今日は日本に生まれ、日本に育ち、日本の教育を受けた人であれば
きっと誰もが聞いたことのある「原発」について少しお話ししようと思います。

はじめに、原子力の脅威についてお話しさせてください。

皆さんもご存じの通り、1945年8月6日8時15分17秒に広島市内中心部に原子爆弾 「リトルボーイ」 が投下されました。

原子爆弾は原爆ドーム(旧広島県産業奨励館娗)から南東約160メートル、 高度約600メートルの位置で炸裂。

爆発後1分以内に放射された初期放射線によって、爆心地から約1km以内にいた人は、致命的な影響を受け、その多くは数日のうちに死亡しました。また、外傷が全くなく無傷と思われた人々が、被爆後月日が経過してから発病し死亡した例も多くあります。
さらに原爆は、爆発後、広島に長時間にわたって残留放射線を地上に残しました。

https://hiroshimaforpeace.com/

長崎県では1945年8月9日午前11時2分、 長崎市松山町171番地の上空約500mで原子爆弾が投下されました。 原子爆弾が爆発した爆発点の瞬間温度は摂氏数百万度に達するといわれています。

この原子爆弾が人類史上においてヒロシマにつづく2度目で、2023年時点では実戦で使用された最後の核兵器です。 

この事件で何万人亡くなったのでしょうか。

1945年8月、 投下された二つの原爆。 

その年末までに、 広島で14万人、 長崎で7万人以上の命が奪われたと言われています。
さらに何十万もの人に健康被害を与えました。


芸人のダウンタウン松本さんも酷くこの事件を 「忘れてはならない!!」と熱く語っている通り、 
今も苦しむ人々がいるのです。 

私も「忘れてはならない過去」ということを、恥ずかしながら大人になって感じることができました。 

いえ、 厳密に言えば 、
今私が再生エネルギーの仕事をしてから考え、 そして身に染みて考え感じる事が出来ました。 

なぜ?? と思うかもしれません。

もうひとつ、忘れてはならない記憶が、皆さんのなかにあると思います。 
福島第一原子力発電所事故です。

 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(もしくは東日本大震災)とそれ に伴う津波により、 東京電力の福島第一原子力発電所で発生した原子力事故。
1986年4月のチェルノブイリ 原子力発電所事故以来、 最も深刻な原子力事故となった。

国際原子力事象評価尺度において、 7段階レベルのうち、 当初はレベル5に分類されたが、 のちに最高レベルの7(深刻な事故)に引き上げられた。なお、レベル7に分類されている事故は、 チェルノブイリ原子力発電所事故と、 福島第一原子力発電所事故の 2つのみとなっている。

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21528501/

これがどんなに恐ろしい事か。

原子力発電所がある場所には、広島や長崎に投下された原爆の何倍もの放射線を含む
危険物を抱えているのかご存知ですか?

あの広島原爆の168倍です。

168倍と言っても分かりずらいと思います、想像してください。 

広島原爆に例えたら168発分になります 。

もう一度いいます。 168発分です。 

仮にここに地震がきたり また津波が来て、原子炉を冷却できない状況になったら、
原子力が爆発してしまったら、どうなるでしょうか? 

私たちが生きてる間に 
原子力発電所を無くしたい 、無くさないといけない
そんな思いも芽生えてきました。 

とはいえ1人の声、1つの会社が声をあげた所ですべての人に響く訳ではないのは重々承知です。 

怖がらせたい訳ではありません。 

我々が、再生可能エネルギーに転換するべき理由がここにあるのです 。

近年はCO2による温暖化など地球規模で大きな課題も抱えています。

地球が住めない環境になったら、あなたはどこに住みますか? 

日本の問題だけではなく、世界が地球を滅ぼさない為に、
今1人1人が自分の家族のように、地球を思いやる必要性が見いだされる時代となりました。 


今私は、再生可能エネルギーである、太陽光パネルや省エネ設備を販売する弊社の業務を通じて、
こうした意識をもつことができるようになり、感謝と精進する気持ちでいっぱいです。

微力ながらも、こうして地球規模の取り組みに向けてお手伝いを出来ていることを、誇りに思っております。 

そして、少しでも、皆様やこの時代に、弊社の声と実態の深刻さが届けば、という思いでこのたび筆をとらせていただきました。 

最初で最後のブログになると思いますが、目を通してくれた方、有難う御座いました。
引き続き宜しくお願い致します。